欲しかったもの

2人がニルスについて話をするSS


ニルスが初めて二人を「おかえり」と迎えた夜。

夕食を終え、眠る前の読み聞かせをして、魔術具に魔力を流したことも確認した。

寝台へ入ったニルスが穏やかな寝息を立て始めるまで、マインはその傍を離れなかった。

「もう寝たぞ」

扉のところから、ルッツが小声で呼ぶ。

「うん。でも、もう少しだけ」

「明日も早いんだ。お前も寝ろ」

名残惜しく思いながら立ち上がり、そっと掛布を直す。

寝室を出ると、ルッツはマインの手を取り、二人の部屋へ連れていった。

「……何だよ」

寝台へ腰掛けたルッツが、隣に座ったマインを見る。

「何が?」

「さっきから、ずっと何か言いたそうな顔してるだろ」

「そんな顔してた?」

「してた。ニルスが『おかえり』って言ってからずっとだ」

どうしてルッツには、いつも隠していることがわかってしまうのだろう。

マインは膝の上で指を組んだ。

「ルッツは、前に子どもが好きだって言っていたでしょう?」

「ああ」

「わたしは……ルッツに相談もせずに、ニルスをうちへ連れてきたいと言ったよね」

「相談なら、あの路地でされたぞ」

「相談というより、ほとんど決定だったでしょう?」

「否定はしない」

「やっぱり!」

思わず声を上げかけ、隣室を気にして口を押さえる。

ルッツは小さく笑った。

「それがどうしたんだ?」

「ルッツは、本当にこれでよかったのかなって」

「これって何だよ」

「ニルスを迎えたこと」

ルッツの表情から笑みが消えた。

マインは慌てて続ける。

「わたしは後悔していないよ。ニルスを見つけられてよかったと思ってる。助けられて、うちに来てもらえて……今日、『おかえり』って言ってもらえて、すごく嬉しかった」

思い出すだけで胸が温かくなる。

「でも、ルッツが欲しかったのは、わたしとの子どもだったんじゃないかと思って……」

言葉にした途端、胸の奥に隠していた不安が形になった。

「ニルスが嫌だという意味じゃないの。ただ、わたしが産めないから、ルッツは仕方なく――」

「マイン」

低い声に遮られる。

ルッツはマインの肩を掴み、自分の方へ向かせた。

「オレが嫌々ニルスを置いてるように見えたのか?」

「そうは見えないけど……」

「じゃあ、何でそんなこと考えるんだ」

「だって、ルッツは優しいから。わたしが助けたいと言ったら、自分の望みを我慢してでも叶えてくれるでしょう?」

「……お前、オレのこと何だと思ってるんだ」

呆れたように溜息を吐き、ルッツはマインの額を指で弾いた。

「痛い!」

「勝手なことを考える罰だ」

「心配しただけなのに」

「じゃあ、ちゃんと教えてやる」

ルッツは少し考えるように目を伏せた。

「お前との子どもが欲しいと思ったことはある」

はっきりと言われ、マインの胸がきゅっと縮む。

「お前に似た女の子だったら、きっと目を離すたびに何かやらかすんだろうなとか。男の子だったら、オレと一緒にお前を止めてくれるかもしれないとか」

「わたしはそんなにやらかさないよ」

「本気で言ってるのか?」

「……続きをどうぞ」

ルッツは笑い、マインの頬へ手を添えた。

「でも、それは想像しただけだ。お前の命と引き換えにしてまで欲しいと思ったことは、一度もない」

「ルッツ……」

「それに、ニルスはその代わりじゃない」

緑の瞳が、真っ直ぐにマインを見つめる。

「お前が産めないから仕方なく迎えた子じゃない。路地で見つけたのがニルスだったから、あいつと家族になろうと思ったんだ」

ニルスでなければ意味がない。

その言葉に、マインの目が熱くなる。

「最初に助けたいと言ったのはお前だ。でも、うちの子にしようと決めたのは二人だろ」

「……うん」

「オレは嫌なことなら嫌だと言う。お前とは違ってな」

「わたしだって、嫌な時は嫌って言うよ」

「言えなくて仕事を抱え込む奴が何を言ってるんだ」

反論できず、マインは唇を尖らせた。

その唇を、ルッツの親指が優しく撫でる。

「今日、あいつが『おかえり』って言った時、どう思った?」

「嬉しかった。帰る場所ができたと思ってくれたのかなって」

「オレも同じだ」

ルッツはマインの手を取り、指を絡めた。

「前に、お前と一緒に暮らして、朝起こして、飯を食わせて、仕事から帰ったら今日あったことを話す。そういう家族が欲しかったって言っただろ?」

「うん」

「今は、起こして飯を食わせなきゃならない奴が一人増えた」

「わたしは自分で起きられるよ」

「昨日も寝坊しただろ」

「昨日は夜遅くまで本を読んでいたから――」

「理由になってない」

ルッツが笑う。

「オレが欲しかったものは、ちゃんとここにある」

繋いだ手が持ち上げられ、指先へ口づけが落とされる。

「お前と作った家があって、お前と育てたいと思う子がいる。それで十分だ」

「……十分?」

「ああ」

「本当に?」

「まだ疑うのか?」

「少しだけ」

すると、ルッツが身を寄せた。

「なら、わかるまで教えてやる」

唇が重なる。

初めは確かめるように触れただけだったのに、離れたと思えば、またすぐに塞がれた。

肩を抱く腕に力が入り、マインの体がルッツの胸へ引き寄せられる。

「ん……ルッツ、ニルスが起きるよ」

「静かにしてればいい」

「ルッツが何度も口づけるからでしょう?」

「まだ疑ってる奴がいるからな」

「もう疑ってないよ」

「本当に?」

「本当……んっ」

答えを最後まで言わせてもらえない。

何度目かの口づけの後、マインは真っ赤になってルッツの胸を押した。

「十分伝わりました!」

「オレはまだ伝え足りない」

「さっき、自分で十分だって言ってたじゃない」

「あれは家族の話だ」

「今は何の話なの?」

ルッツはマインの腰へ腕を回し、逃げられないように抱き寄せる。

「夫婦の話」

耳元で囁かれ、マインの顔が一層熱くなった。

「もう子どもが寝ているんだから、少しは父親らしく――」

「まだ父さんとは呼ばれてない」

「洗礼式が終わったら呼んでもらうから」

「それは楽しみだな」

ルッツは嬉しそうに笑うと、マインの頬を両手で包んだ。

「でも今は、オレ達だけだ」

再び唇が重なる。

隣室では、二人が選んだ大切な子どもが眠っている。

そしてこちらの部屋では、これからも共に家族を育てていく夫婦が、互いを選んだ幸せを何度も確かめ合っていた。