それは、朝食の席で突然始まった。
「フェルディナンド様。今日から、フェルディナンド様の望みを一日一つ伺うことにします」
フェルディナンドは、茶器へ伸ばしかけた手を止めた。
向かいに座るローゼマインは、何やら決意に満ちた顔をしている。傍らに控えるリーゼレータは穏やかな微笑みを浮かべていたが、視線を合わせようとはしなかった。
「……今度は何を始めるつもりだ?」
「フェルディナンド様個人の望みを聞くのです」
「今、聞いた。そのようなことを始める理由を問うている」
「フェルディナンド様は、わたくしの望みを叶えることばかり考えて、ご自分の望みを口になさらないからです」
「君の望みを叶えることが、私にとって最も都合がよいだけだ」
「それです」
ローゼマインがフェルディナンドを指差した。
リーゼレータがすぐにその手を下ろさせる。
「ローゼマイン様。お食事の席で人を指差してはなりません」
「失礼しました。けれど、今のように何でもわたくしの望みへすり替えてしまうのです」
「すり替えてなどいない。君の希望を実現する過程でアレキサンドリアが発展し、私の研究環境も整う。利害が一致しているだけだ」
「では、フェルディナンド様は何を望んでいるのですか?」
「今、説明したであろう」
「それは領地運営と研究環境のお話です。今日のお茶は何がよいとか、夕食に何を食べたいとか、空いた時間をどのように過ごしたいとか……フェルディナンド様ご自身の望みを伺いたいのです」
フェルディナンドは眉間を押さえた。
あまりにもくだらない。
「その程度のことは、側仕えが適切に整えればよい」
「適切かどうかを決めるには、フェルディナンド様のお好みを知らなければなりません」
「私の好みはセルギウスも把握している」
「わたくしが知りたいのです」
間髪を入れずに返され、フェルディナンドは口を閉ざした。
ローゼマインは時折、このような顔をする。一度決めたことを曲げるつもりが全くない顔だ。
ここで拒めば、毎朝同じ問答を繰り返すことになるだろう。時間の無駄である。
「……甘さを控えた柑橘の茶」
「はい?」
「今日の茶だ。尋ねたのは君であろう」
ローゼマインの顔が明るくなった。
「リーゼレータ、聞きましたか?」
「はい。すぐに準備いたします」
リーゼレータは笑みを深め、静かに退出した。
「これで満足か?」
「本日分は満足です」
「本日分は、だと?」
「一日一つと申し上げたではありませんか。明日も伺います」
フェルディナンドは、朝食の席でこの話を打ち切らなかったことを早くも後悔した。
◇
翌日、ローゼマインは宣言どおり尋ねてきた。
「今日の望みは何ですか?」
「特にない」
「昨日、考えておいてくださいと申し上げました」
「望みとは、考えて作るものではないであろう」
「そのとおりです。ですから、何か思いつきませんでしたか?」
「君が朝から面倒な質問をしないことだ」
「それは却下します」
「私の望みを聞くのではなかったのか?」
「この試みそのものを終わらせる望みは、趣旨に反するので認められません」
「君は私の望みを叶えたいのか、却下したいのか、どちらなのだ?」
「フェルディナンド様が、自分にも望みがあると認められるようにしたいのです」
「結局、君の望みではないか」
「それでも構いません。さあ、次の望みをどうぞ」
結局、その日は夕食に魚料理を選ばされた。
三日目は、執務室で使う香の変更。
四日目は、就寝前に飲む茶の温度。
五日目は、翌日の昼食を屋外で取るか否か。
フェルディナンドは毎朝、くだらぬと繰り返した。ローゼマインも毎朝、よいから答えてくださいませと繰り返した。
尋ねられる内容は、どれも些細なものだった。
しかし、答えればその日のうちに反映された。
執務室から甘すぎる香りが消え、茶は少し熱めに淹れられるようになった。昼食に出された魚には、好みの香草が添えられている。
側仕えに命じれば済むことだ。
これまでも、必要であれば命じてきた。
それなのに、ローゼマインが「今日は望みどおりでしたか?」と確認し、満足そうに笑うと、単なる要望とは違うものに思えた。
「ところで、君は何を書いている?」
七日目の夜、フェルディナンドはローゼマインの手元にある小さな冊子へ目を向けた。
毎朝の質問を始めてから、彼女が何かを書き加えていることには気づいていた。
「秘密です」
「君がそのように答える時は、大抵ろくなものではない。見せなさい」
「嫌です」
「ローゼマイン」
「これはわたくし個人の覚え書きです。他者に見せる必要はありません」
ローゼマインは冊子を胸元へ抱えた。
隠されると余計に気になる。
フェルディナンドが手を差し出したまま待っていると、やがて彼女は諦めたように息を吐いた。
「笑わないでくださいね」
「内容による」
渡された冊子を開く。
一頁目には、『フェルディナンド様の望み』と書かれていた。
その下に、これまでの回答が日付順に並んでいる。
甘さを控えた柑橘の茶。
夕食の魚料理。
甘くない香。
少し熱めの茶。
風の弱い日に庭で昼食。
研究資料を勝手に移動させないこと。
読書中は静かにすること。
「……これは望みではなく、単なる好みと要望の一覧だ」
「最初はそれでよいのです」
「最初?」
「大きな望みを尋ねても、フェルディナンド様はすぐに、領地のため、わたくしのため、将来のためという答えにしてしまうでしょう?」
否定はしなかった。
ローゼマインは冊子を取り戻し、その頁を大切そうに撫でた。
「ですから、まずは小さなことから始めるのです。どのお茶が好きで、どこで過ごしたくて、何を嫌だと思うのか。そういう小さな望みが積み重なれば、いつかフェルディナンド様が本当に望んでいる未来も、ご自分の言葉でおっしゃることができるかもしれません」
「ずいぶんと気の長い話だな」
「本を作ることに比べれば、大したことではありません」
比較対象がおかしい。
そう指摘しようとした時、ローゼマインが小さく欠伸をした。
「眠いならば、もう休みなさい」
「まだ本日の分を伺っていません」
「朝、答えたであろう。読書中は静かにしろ、と」
「あれは昨日の分です。今朝は領主会議の準備で時間がありませんでしたから」
確かに、今日は朝から慌ただしかった。
そのため、いつもの問答がなかった。
フェルディナンドは一日が妙に物足りなく感じられた理由に思い至り、不愉快な気分になった。
いつの間に、これが日課になったのか。
「さあ、今日の望みは何ですか?」
「夜も遅い。明日でよい」
「一日一つです。今日の分は今日のうちに聞かなければなりません」
「融通の利かぬことを言うな」
「フェルディナンド様がおっしゃったのでしょう? 決めたことは守れ、と」
教えを返され、フェルディナンドは眉間を押さえた。
ローゼマインが答えを待っている。
欲しいもの。
してほしいこと。
明日も、その次の日も続いてほしいもの。
考えるうちに、不意に答えが浮かんだ。
あまりにも簡単で、口にする必要もないと思っていたことだった。
「……明日も尋ねに来なさい」
「それは、明日もフェルディナンド様の望みを聞いてよいということですか?」
「ああ」
「本当に?」
「同じことを何度も言わせるな」
ローゼマインは嬉しそうに冊子へ書き込んだ。
「何と書いた?」
「『明日も尋ねに来ること』です」
「そのままではないか」
「そのままがよいのです。フェルディナンド様がおっしゃった言葉ですから」
満足そうに冊子を閉じると、ローゼマインは寝台へ入った。
だが、しばらくしても落ち着かない様子でこちらを見ている。
「今度は何だ?」
「まだ何かおっしゃりたいことがあるように見えたので」
「ない。さっさと寝なさい」
「そうですか」
ローゼマインが目を閉じる。
そのまま寝息が聞こえ始めるまで待ち、フェルディナンドは枕元に置かれた冊子へ目を向けた。
明日も尋ねに来ること。
正確には、少し違う。
望んでいるのは質問ではない。
朝になればローゼマインがいて、くだらぬことを尋ね、答えるまで引き下がらない。日中は互いの仕事をし、夜になれば同じ場所へ戻ってくる。
そんな明日が当然のように続くことだ。
だが、それを今すぐ言葉にする必要はないだろう。
一日一つでよいと決めたのは、ローゼマインである。
フェルディナンドは隣で眠る彼女の髪を一房すくい、指先で整えた。
「続きは、また明日だ」
眠っているローゼマインから返事はない。
それでも明日になれば、彼女はまた尋ねるだろう。
その時は何と答えるのか。
自分の望みを考えながら眠ることを、以前ほど無意味だとは思わなかった。
