増える家族と増える心配事

 医師が退出した後、フェルディナンドはすぐさま側近たちを集めた。

 ただし、懐妊についてはまだ確定したばかりである。安定するまでは必要最低限の者にしか知らせず、アウブの体調不良として予定を調整する――というのが、彼の方針だった。

「よいか。この件について、許可なく口外することは許さぬ」

 執務室へ集められた側近たちは、フェルディナンドの厳しい声に一斉に頷いた。

「アウブはしばらくの間、魔力を大きく動かす業務から外す。執務時間を短縮し、面会も減らす。食事、睡眠、体調の変化は全て記録せよ」

「全て、ですか?」

 わたくしが思わず聞き返すと、フェルディナンドはこちらへ冷たい視線を向けた。

「君に任せれば、何もかも『いつもの体調不良』で済ませるであろう?」

「毎日の体調を逐一報告されるなんて、落ち着きません」

「倒れてから騒がれるよりはよい」

「今回は倒れていませんよ」

「そこは褒めるところではない」

 言い争うわたくしたちを見て、側近たちは何とも言えない表情になった。

 最初に口を開いたのはハルトムートだった。

「つまり、アウブ・アレキサンドリアのお体に、新たな命が宿ったということでございますね」

 感極まったように胸の前で手を組み、今にも祈りを捧げ始めそうな顔をしている。

「これは領地にとって、実に大きな祝福です。神々がアウブ・アレキサンドリアとフェルディナンド様の御婚姻を寿ぎ――」

「ハルトムート」

「はい」

「余計な儀式を企画するな」

 フェルディナンドに先回りされ、ハルトムートは残念そうに口を閉じた。

 隣ではクラリッサが、すでに書板へ何かを書きつけている。

「クラリッサは何を書いているのですか?」

「歴史的瞬間の記録です。アウブ・アレキサンドリアの御懐妊が判明した際、フェルディナンド様がどのようなお顔をなさったのか、後世へ正しく伝える必要がございます」

「必要ない。今すぐ消せ」

「ですが、フェルディナンド様の指先が震えていたことは――」

「クラリッサ」

「消します」

 書板を抱えたクラリッサが素早く一歩下がった。

 コルネリウス兄様は、先ほどからわたくしとフェルディナンドを交互に見ている。

「ローゼマイン様のお体に、危険はないのですか?」

「現時点では問題ないそうです。フェルディナンド様が大騒ぎしているだけですよ」

「誰が大騒ぎしていると言うのだ」

「礎への供給も、執務も、図書館へ行くことまで禁止しようとしたではありませんか」

「図書館については、君が階段を駆け上がろうとしたからだ」

「駆け上がってはいません。少し早足になっただけです」

「同じことだ」

 コルネリウス兄様は眉間を押さえた。

「……フェルディナンド様。ローゼマイン様の申告は信用せず、周囲の者からも体調を確認してください」

「無論、そのつもりだ」

「兄様までひどいです!」

 一方、エックハルト兄様は祝いの言葉より先に警備体制について質問し始めた。

「情報を公表した後は、アウブだけでなく、お子にも害意が向けられる可能性がございます。毒見役と夜間の護衛を増やしましょう。出入りする者の経歴も、改めて洗い直します」

「頼む」

「まだお腹も大きくなっていないのに、そこまで必要ですか?」

「必要です」

 フェルディナンドとエックハルト兄様の声が、見事に重なった。

 わたくしの周囲に、これ以上過保護な者を増やさないでほしい。

 ◇

 最も心配していたのは、レティーツィアへの伝え方だった。

 実子が生まれることで、彼女が自分の立場を不安に思うかもしれない。そう考えたわたくしは、フェルディナンドと相談し、他の者へ公表する前に本人へ伝えることにした。

「レティーツィア。わたくしのお腹に、子どもがいることが分かりました」

 レティーツィアは目を見開いた後、花がほころぶように笑った。

「おめでとうございます、ローゼマイン様、フェルディナンド様。弟君でしょうか。それとも妹君でしょうか」

「まだ分からないそうです」

「どちらであっても、きっと可愛らしいでしょうね」

 弾んだ声で祝いながらも、その笑顔がほんの少しだけ硬い。

 わたくしは手を伸ばし、レティーツィアの手を握った。

「貴女には、お姉様になっていただきます」

「……わたくしが?」

「はい。わたくしは貴族としての常識に不安がありますし、フェルディナンド様は幼い子どもにも難しい課題を出しそうです。レティーツィアが助けてくれなければ困ります」

「私は年齢に応じた教育を行う」

「その年齢設定が信用できないのです」

 フェルディナンドを見上げて反論すると、レティーツィアが小さく笑った。

 今度の笑顔には、先ほどまでの硬さがない。

「わたくしでよろしければ、喜んでお姉様になります」

「では、子ども用の図書室について一緒に考えましょう」

「話を広げるな。まずは休め」

 即座にフェルディナンドから止められ、レティーツィアは楽しそうに笑い声を上げた。

 ◇

 懐妊が判明してからしばらく経ち、医師からも経過が順調だと認められた頃、領地対抗戦の日を迎えた。

 本来であれば、わたくしもアウブとして最初から最後まで参加する予定だった。ところが実際に許されたのは、アレキサンドリアの成績を確認することと、いくつかの領地へ挨拶をすること、そして限定された時間だけ社交の場へ顔を出すことである。

「少し過保護ではありませんか?」

「昨日も同じ質問へ答えた」

「昨日より体調は良いですよ」

「ならば、その状態を維持せよ」

 控室を出る際にはフェルディナンドが手を差し出し、階段では半歩前を歩き、立ち止まればすぐ椅子を用意させる。

 おかげで、周囲の視線が痛い。

 まだ懐妊は正式に公表していないが、これでは隠している意味がほとんどないのではなかろうか。

「フェルディナンド様。皆様がこちらを見ています」

「見せておけばよい。君へ不用意に近づく者が減る」

「隠す気があるのですか?」

「詳細を知らせる気がないだけだ」

 どうやら情報を完全に隠すことと、他者を牽制することは、フェルディナンドの中で両立するらしい。

 午後になり、エーレンフェストとの非公開の面会時間になった。

 部屋へ入ってきたジルヴェスターは、椅子へ座っているわたくしと、その背後に立つフェルディナンドを見比べた。

「ローゼマインが座っていて、フェルディナンドがそれを許しているだと?」

「挨拶より先に、そこへ驚くのですか?」

「いや、だってお前、領地対抗戦の最中だぞ。いつもなら興奮して走り回って、フェルディナンドに捕まえられている頃だろう」

「わたくしはもう立派なアウブです。そのような子どもっぽいことはいたしません」

 視線を逸らしたわたくしに、フェルディナンドが呆れた息を吐く。

 ジルヴェスターの後ろでは、フロレンツィアが扇で口元を隠していた。その目が優しく細められている。

「アウブ・アレキサンドリア。何かおめでたいお話があるのではございませんか?」

「フロレンツィア様には分かるのですか?」

「ええ。フェルディナンド様のご様子を拝見すれば」

 フェルディナンドがわずかに眉を寄せた。

「私は普段と何も変わらぬ」

「普段のフェルディナンドは、ローゼマインが椅子から立ち上がろうとしただけで肩へ手を置いたりしないぞ」

 ジルヴェスターの指摘に振り返ると、確かにフェルディナンドの手がわたくしの肩に添えられていた。

「念のためだ」

「何の念だ?」

 ジルヴェスターが首を傾げる。

 わたくしはフェルディナンドと視線を交わし、笑みを浮かべた。

「わたくし、子どもを授かりました」

 一瞬、部屋が静まり返った。

「……子ども?」

「はい」

「誰の?」

「其方は馬鹿なのか?」

 フェルディナンドの声が冷たく響いた。

 フロレンツィアが「まあ」と小さく声を上げ、輝くような笑顔を見せる。

「おめでとうございます、ローゼマイン。フェルディナンド様」

「ありがとうございます」

 ジルヴェスターはまだ理解が追いつかない様子で、何度かわたくしのお腹とフェルディナンドの顔を見比べた。

 そして突然、勢いよく立ち上がった。

「私が祖父になるのか!?」

「声が大きい」

「待て。だが、フェルディナンドの子なら私にとって甥か姪だろう? ローゼマインは私の養女だから、孫でもある。どちらだ?」

「公的には養祖父でしょう」

 フロレンツィアが冷静に答える。

「では、子どもには私を『お祖父様』と呼ばせるのか?」

「其方をどのように呼ばせるかは、後で決める」

「後でって何だ。大事なことだぞ」

「今決める必要はない」

 フェルディナンドが切り捨てると、ジルヴェスターは納得できない様子で腕を組んだ。

「カルステッドは普通に祖父なのだろう? ずるくないか?」

「何がずるいのですか」

「私だけ立場が複雑すぎる」

 フロレンツィアが肩を震わせながら、わたくしの手を取った。

「体調はいかがですか?」

「少し眠くなることはありますが、順調だそうです」

「ローゼマインの『少し』は信用するな」

 フェルディナンドがすかさず口を挟む。

「食事と睡眠は管理している。執務も減らした。魔力供給は私が代わっている」

「図書館へ行く時間まで減らされたのですよ」

「当然だ」

「妊娠しても、相変わらずだな……」

 ジルヴェスターは呆れたように呟いた後、ふっと表情を緩めた。

「でも、よかったな。二人とも」

 先ほどまでの騒がしさが消えた、静かな声だった。

 フェルディナンドは一度目を伏せる。

「ああ」

 たった一言だったけれど、その声はとても穏やかだった。

「名前はもう考えているのか?」

「まだ性別も分かりません。ただ、本に関係する名前がよいと思っています」

「却下だ」

「まだ何も提案していません!」

「君の発想は聞く前から分かる」

「では、図書館に関係する神々のお名前から――」

「却下だ」

「フェルディナンド様!」

 わたくしたちのやり取りを見て、ジルヴェスターが声を上げて笑い出した。

「子どもが生まれる前からこれでは、先が思いやられるな」

「アウブ・エーレンフェストにだけは言われたくありません」

「全くだ」

「おい、フェルディナンドまで同意するな」

 フロレンツィアの笑い声も重なり、部屋の中が一気に賑やかになる。

 まだ姿も見えず、声も聞こえない小さな家族が一人増えただけで、こんなにも多くの笑顔が生まれる。

 わたくしはそっとお腹へ手を当てた。

 その上から、当然のようにフェルディナンドの手が重なる。

「まずは無事に生まれることだけを考えよ」

「はい」

 そう答えながらも、生まれた子へ最初に読み聞かせる本については、後でこっそりレティーツィアと相談しよう。

 そう心に決めたところで、フェルディナンドから疑わしそうな目を向けられた。

 どうやら、顔に出ていたらしい。